詳細なデータから四神・日干・九星を割り出します
自己神感®とは、自分の中に神を感じながら生きること。
私たちは、ともすると神様を自分の外側にだけ求めようとします。
しかし自己神感®で大切にしているのは、神社へ行ったときだけ神様を感じるのではなく、日々の暮らしの中で、自分自身の内側にも神を感じることです。
神道において「鏡」は、古くから神さまをお祀りするうえで大切な役割を担ってきました。
伊勢神宮では八咫鏡が天照大御神の御神体としてお祀りされています。
そして鏡の前に立ったとき、そこに映るのは誰でしょうか。
映っているのは、ほかでもない自分自身です。
自己神感®では、この「鏡」を一つの象徴として考えます。
鏡(かがみ)から「我(が)」を取れば、「かみ(神)」になる。
これは日本語の語源を説明するものではありません。
自我、執着、思い込み、見栄、比較する心。
そうした「我」を少しずつ手放していったとき、その奥にある本来の自分、そして自分の中にある神性に気づいていく。
それが自己神感®の考え方です。
だからこそ、自己神感®が目指すものは、単純な自己肯定ではありません。
「自分は正しい」
「自分は素晴らしい」
「今の自分のままで何でもいい」
と、無条件に自分自身を肯定することを目的とはしません。
大切なのは、
自己肯定を強くすることではなく、自己否定をなくしていくこと。
「自分なんて駄目だ」
「どうせ自分にはできない」
「自分には価値がない」
そうやって自分自身を傷つけ、否定している心を手放していくことです。
自分を持ち上げる必要もない。
自分を卑下する必要もない。
ただ、自分という存在を静かに見つめ、その奥にある神性を感じていく。
そこに自己神感®の出発点があります。
そして、もう一つ大切にしている考えがあります。
この身体は、私たちだけの所有物ではない。
この世で生き、学び、出会い、喜び、悩み、さまざまな経験をするために、神様からお借りしている大切な身体である。
自己神感®では、そのように身体を捉えます。
借り物だからこそ粗末にしない。
食事を大切にする。
身体を整える。
心を整える。
人を傷つけない。
自分自身も傷つけない。
そして、与えられた身体を使って、精一杯この人生を生きる。
それもまた、神様への感謝であると考えます。
では、なぜ神社へ行くのでしょうか。
お願い事をするためだけではありません。
自己神感®では、神社へ参拝することを、神様へ感謝をお返しする時間と捉えます。
今日も身体を使わせていただいていること。
今日も命があること。
今日も経験できること。
今日も誰かと出会えること。
そのすべてに、
「ありがとうございます」
と伝えに行く。
青木塾では、それを分かりやすく、
「神様からお借りしている身体のレンタル料を、感謝という形でお返しする」
と表現します。
もちろん、お金を支払うという意味ではありません。
身体をお借りし、命をいただき、今日という一日を生きられることへの感謝を返すことが、私たちにできる“レンタル料”であるという例えです。
神社へ行って、
「これをください」
「こうしてください」
「願いを叶えてください」
とお願いするだけではなく、
まず、
「今日もありがとうございます」
と伝える。
その感謝の積み重ねが、自分の生き方を変えていきます。
神様を外にだけ探すのではない。
鏡を見つめ、その中に映る自分自身を見つめる。
我を手放す。
自己否定を手放す。
身体を大切にする。
命に感謝する。
そして、自分の内側にある神を感じながら生きる。
神様に近づこうとするのではなく、自分の中にすでにある神性に気づいていく。
それが、
自己神感®内なる神を呼び覚ます、生き方です。